沿革
これまでの歩み
<野草(やそう)の会>
昭和59年9月22日。野草の会は横浜市中区で生まれました。
港町として栄えてきた横浜市には、全国から港湾労働者が集まってきました。
市の中心地である中区には、港湾労働者が住む寿地区が生まれ、そこに住む人達の中には精神障がいを持つ、家族の無い人も多く住んでいました。その人達も通える場を作ろうと、寿地区に関わっているボランティア、家族、保健所ケースワーカーの人達が考えました。
その当時、地域作業所は障がいを持つ家族が中心となって作られていました。そこで家族会に代わる「会」として誕生したのが「市民グループ野草の会」です。
会の名前は、メンバーの一人が、丹沢山から持ち帰ったアザミの花からヒントを得てつけられました。野に咲く花の傍らを、多くの人は通り過ぎてしまうが、実はたくましい生命力を持っている・・そんな会にしたいという願いからです。
<ろばの会>
1980年代初期。日本キリスト教団神奈川教区寿地区活動委員会の「社会福祉小委員会」が、寿地区の問題学習会、バザー、越冬炊き出し等の支援に関わり始めます。
1986.7ボランティア会「寿地区活動委員会」が組織され、その後、地域開催のイベントへの参加や学習会を重ね、同年9月より、「精神障害を持つ方々の憩いの家」をと、寿地区センターにて週3回のデイケアが開始されました。
1988.5 「教区」の活動とは切り離し、「市民グループろばの会」を設立。
その呼び掛け文にはこう記されています。「この人たちは、病院、診療所、保健所、福祉事務所のケースワーカーの方々が、折に触れ、時に応じて良き相談相手となっていますが、しかし、そこには彼らを必要とする更に多くの人が出入りし、長時間の滞在ができません。どこかで、仲間たちや、一緒になって「人間としての自分」の問題を考えてくれる人達と、話し合ったり、歌ったり、食事を共にしたり、手作業でもすることができる「作業所」を!!
<ろばと野草の会>
中区で生まれた「野草の会」「ろばの会」。この二つの会は、将来に向けより充実した活動を行なう為、手を携えて歩んでいくことを決めました。
▼1984年 市民グループ 野草の会 創立
▼1985年 地域作業所 はだしの邑 開設(野草の会)
▼1986年 デイケア ろばの家 開設
▼1988年 市民グループ ろばの会 創立
▼1989年 デイケア ろばの家 を地域作業所 ろばの家 に移行
▼1990年 グループホーム すずらん荘 開設(野草の会)
▼1992年 グループホーム 虹 開設(ろばの会)
▼1993年 グループホーム リバーサイドハイツ 開設(野草の会とろばの会共同)
▼1995年 野草の会とろばの会が合同し、精神保健福祉を考える市民グループ
ろばと野草の会 創立
▼1996年 グループホーム 恵友ホーム 開設
▼1996年 社会福祉法人恵友会設立 4つのグループホームは恵友会の運営となるが、作業所は市民グループろばと野草の会が運営することとなる
▼1996年 会報 ろばと野草 初刊発行
▼2000年 臨時総会にて「市民グループとしての特徴を生かすため恵友会と合同を行わない」ことを決議。社会福祉法人恵友会とは別団体として市民グループとして活動し続ける事が決まる。
▼2002年 べてるの家のビデオを見る会 開始
▼2002年 第13回横浜市保健医療功労者市長賞表彰
▼2002年 グループホーム ベイサイド長者町 開設
▼2005年 特定非営利活動法人(NPO法人)設立認証
特定非営利活動法人ろばと野草の会 設立(7月1日)
▼2007年 はだしの邑 および ろばの家、横浜市地域活動支援センター
(精神障がい者地域作業所型)に移行
▼2007年 横浜市地域活動支援センター(精神障がい者地域作業所型) 百合の樹 開設
▼2008年 電話相談 きらく電話 開始
▼2008年 グループホーム GH見晴 開設
▼2008年 グループホーム GH見晴サテライト 開設
▼2010年 グループホーム ベイサイド長者町が同じ中区西之谷への移転に伴い、ベイサイド西之谷に改称
▼2012年 共同墓地 「千秋の丘 」にて 第1回合同追悼式挙行
▼2012年 横浜市指定NPO法人の指定を受ける
▼2013年 認定NPO法人の認定を受ける
▼2013年 百合の樹 就労継続支援B型事業所に移行
▼2014年 ケアホーム こもれび 開設
▼2017年 はだしの邑 就労継続支援B型事業所に移行
▼2019年 ろばの家 就労継続支援B型事業所に移行